香取神社
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 ○経津主大神(ふつぬしのおおかみ)

 ○武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)

 ○岐大神(くなどのおおかみ

 

 日本最古の伝志である「日本書記」によると、はるか昔、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争いをやめず非常に乱れていました。天照大御神は八百万神(やおよろずのかみ)に相談し、様々な神様を日本の国へ派遣しますが、統治は上手くいきませんでした。困り果てた天照大御神が八百万神に慎重に相談させ、話し合いを重ねた結果、神々は口を揃えて、経津主大神こそふさわしいと申し上げました。そこへ武甕槌大神が申し出られたので、共に出雲に派遣されることになりました。経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると、大国主神(おおくにぬしのかみ)は「大御神の御命令に全く異議はありません」ということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は円満に国譲りを実現いたしました。 更に岐大神の道案内、先導により国内を巡行し、荒ぶる神々を平定して日本建国の基礎を築き、天照大御神の元へ復命されたのです。ことに東国の開拓と民生の安定に多大な功績を示したとされています。以上の物語を「日本書記」では、葦原中国平定、または国譲りと言います。


勝負・開運厄除 スポーツ振興

足腰健康 家内安全 交通安全

御祭神である経津主大神、相殿にお祀りされている武甕槌大神はいずれも武神(闘いの神さま)として古くより崇敬されていたことから、現在では「何事にも打ち勝つ勝負、開運厄除の神様」「スポーツ振興の神様」として、また相殿でお祀りされている岐大神は道案内・道を導く神様として「足腰健健康の神様」、また集落の外部よりの災いを防ぐ「交通、家内安全の神様」として霊験あらたかと広く篤く崇敬されております。

鎌倉時代建治二年八月十九日(西暦一二七六年)、当時亀有の地は下総国葛西御厨亀無村と呼ばれ、香取大神宮の神領地であったことから本宮の御分霊(経津主大神)をお迎えし村の鎮守様としてお祀りされました。その後、鹿島(武甕槌大神)・息栖 (岐大神)の両大神を合わせおまつりし、東国三社の三社明神のお社として村人・近隣の人々を守り続け、約七百三十年の時を経て現在に至ります。


 

 旧亀有村は、「亀無」「亀梨」と呼ばれていました。当時葛西御厨(神領の一種)の範囲と所領高を明記した応永5年(1398)の「下総国葛西御厨注文」や、北條氏や家臣に諸役を賦課するために各人の役高を記した永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」にはいずれも「亀無」「亀梨」の記載がみられます。「亀有」となった由来は定かではありませんが、「なし」の意味を嫌ったものだと思われます。正保元年(1644)江戸幕府による「正保改定図」から「亀有」としたようです。  

 万延元年(1860)建立の旧社殿の棟瓦として両端に置かれていた亀形瓦は阿吽一対で、向かって右側の「阿形」の亀は首を左に、左側の「吽形」の亀は首を右に曲げ、いずれも正面を向くようになっています。
 製作年代や作者は伝承がなく無銘のため明らかではありませんが、「亀有」という地名に因んだ亀を象った瓦は珍しいとして注目されています。
 現在は葛飾区郷土と天文の博物館に寄宅されています。

※現在は一般公開されていません。